その人が嬉しいと自分も嬉しい。

その人が悲しいと自分も悲しい。

その人が幸せなら自分も幸せ。

多くの人にはそういう人が誰か1人くらいいるのではないでしょうか。

家族、友人、恋人、好きな人、同僚、そしてお客様。

嬉しいことを分かち合うのは、自分も喜びを感じることができるからいいでしょう。

しかし、悲しいことや辛いことを分かち合うのは、必ずしも簡単なことではありません。

自分のことで精一杯でその人に向き合えなかったり、何と言っていいのか、何をしたらいいのかわからないまま何もできなかったりして、後で悔やまれることも多いです。

本当は、何をすればいいのか?

何をすればよかったのか?

税理士として会計、税務、その他の法律の知識を使うことが役に立つのであれば、あらゆる手立てを考えて、それを尽くせばいいでしょう。

そうではなく、話をしていて、何となく、相手がしんどい気持ちをぽろりとこぼしてしまうとき。

自分は、「何かアドバイスをしないといけないのかな?」と身構えてしまうことが多いのです。

でも、本当に大切なことは、たとえ黙って話を聞くことしかできなくても、その時の自分の心のすべてを相手に向けてお話を聞き、相手と共にその場にいてその時を過ごすこと、なのかもしれません。

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限られた人との付き合いだけでも、悲しみや辛さを分かち合うことは難しいことです。

その対象が、ある一つの国に住む全員であったり、世界中に住むその国に関わる人々や、過去や未来に生きた・生きる人々であったなら。

30年以上もの間、それほど多くの「人を思う」ことを仕事とするのは、どれほどのことだっただろう、と想像を絶するものがあります。

悲しむ人、苦しむ人に会いに行き、損得や利害の感情なく、目の前の人に向き合い、目の前の人や目の前にいない人のことを思い、人の心を慰め、心のわだかまりを溶かす。

ひたすらに人に心を向けるそのお姿には、思想とか制度とかは関係なく、人として心を打たれました。

◆◆◆

翻って自分。

自分の目の前にぽろりとこぼれた弱さに対して、気の利いた言葉も言えず、何も具体的なことはできないのでは、人と付き合い、お金を頂戴するプロフェッショナルとしては、不十分かもしれません。

それでも、せめてその時だけでも、その人の心が楽になるように。

損得や利害抜きで、話ができる相手と思ってもらえるように。

話がそこで止まる(誰にもばらされない)という信頼を持ち続けてもらえるように。

「人を思う」という難しいことから逃げることなく、これからの仕事や人生を進んでいこうと思います。

※次回の更新は5月2日です。

今日の花

リョウブ(リョウブ科、原産地:日本)

フラワーアレンジメントで昔使った「リョウブ」(下の写真)とは似てもにつかぬ…と思っていたら、どうやらこちらは北アメリカ原産の別物のようです。

今、いけばなで枝を使う(ことが多い)型を練習中なので、花屋さんに行くと「お手頃価格の枝物はないかしら」といつも気になるのですが、これは初めて見かけました。花屋さんも「例年、初夏に花が咲くと入荷するが、この時期は珍しい」とのこと。調べてみると、漢字で「令法」と書くのです。奈良時代、若芽(ちょうどこれくらいですかね)を蒸したものを飢饉に備えての食糧とするため、法律で貯蔵することが定められていたことに由来するそうです。もしや、この「令」という漢字が入っているから、この時期に出回っているのでしょうか…。「令和」の時代が良い時代になりますように。