私には守り神がいると思っています。

怪し気な宗教?と思われるかもしれませんが、違いますよ。

私が守り神だと思っているのは、私の曾祖母です。

元々ひとりっ子であるうえに、父は長く仕事で東京と静岡を週の半々くらいで往復する生活をしており、祖父母も早くに亡くしたり別々に暮らしたりしましたので、思えば、家族に囲まれて過ごしたという感覚があまりありません。

子供の頃は父の生家がある静岡で暮らしていましたが、母の生家の事情で中学2年生から東京に住むことになりました。曾祖母と一緒に暮らすことになったのは、その時からです。

曾祖母は高齢で自室にいることがほとんどでしたし、私自身、両親以外の家族と暮らすという経験がほぼなかったため、どう接していいか正直よくわからず、あまり孝行できたとは思っていません。

ただ、曾祖母が亡くなったのち、母から、曾祖母がいつも私のことを気にかけていた、と何度も聞きました。私が外出していると「聖代ちゃんは?」とよく母に尋ねていたそうです。

私は子供がいませんので、子供を持つ気持ちも、ましてや孫・曾孫を持つ気持ちはわかりません。でも、ずっと離れて暮らしていた曾孫と一緒に暮らすことになり、嬉しく思っていてくれたのかな、と思います。

何か不思議ないいことや救われたことがあったとき、それを母に話すと、「きっとおばあちゃんが守ってくれたんだね。」と言われました。

そうなのかな?私、ほんとに何も孝行していないのに、何だか申し訳ないような気がするけど…。

でも、偶然、と片付けてしまえばそれまでのことも、誰かが自分を遠くから見守ってくれているのかもしれない、と考えたら、心があたたかくなるような気がしました。

それなら、その方がいいから、何か不思議ないいことや救われたことがあると、曾祖母に「ありがとう」と感謝するようになりました。

今や、不安で仕方ないとき、ここ一番どうしても失敗できないときなど、「力を貸してください」とお願い(もはやいわゆる、神頼み、ですね)したりします。

その結果は?というと、だめだったこともあるとは思うのですが、あまり強く印象に残っていることはなく、「助けられた」と思うことの方が多くて、恨んだりしたことは一度もありません。

失敗しなかったのは、「失敗できない」と思えば集中力が高まり、普段よりも力を発揮できたから、と考えることもできます。

というか、理屈としては、おそらくその方が正しいのでしょう。

でも、まるで誰かに肩をたたかれて「ここを見て」と言われたかのように感じてふと見直したところに、間違いを発見したりすることもあるのです。

多くのことは理屈で説明がつきます。

それでも、誰かが自分を見守ってくれている、と考えるのは、悪いことではないと思います。

周りの人の力や自分の力だけでなく、もっと別の何かしらの力に助けられるとか、何かしらの力が働いて行き着くところに行き着くとか、そういうことがあるように、私には思えます。

何かいいことがあったとき、「見守っていてくれてありがとう」と思う。

そして曾祖母が好きだったプリンやカステラを少し買ってきて、写真の前に供えたりする。

亡くなってからの方がずっと、曾祖母を身近に感じています。

そんな守り神の存在は、私の心の一つの支えです。

今日の花

チューリップ(ユリ科、原産地:中央アジア・北アフリカ)

赤のチューリップは意外とまだ投稿していないのでは、と思っていましたが、2度目でした。1度目は昔ながらの形のチューリップでしたが、今回は八重咲です。ぽってり、という言葉がぴったりですね。買ってきた日は茎が花の重みに耐えかねてくたんと曲がっていたのですが、一晩したら水が上がって上向きになっていました。水を吸ってくれた~、とうれしくなる瞬間です。