先週(2018年12月14日)、税理士試験の合格発表がありました。

私は公認会計士試験しか受験しておらず、税理士試験は受験していないのですが、3回目(にして最後)の会計士試験の受験勉強を本格的に始めたのは、ちょうど12月頃でした。

12月になると思い出す、その頃のことを書こうと思います。

3回目の受験

以前、「会計士になるまで」という投稿に書いたのですが、当初、受験は2回まで、と決めていました。

しかし、2回目の受験に失敗して受けた就職面接の面接官にブチ切れ、悔しくて3回目の受験をすることにしました。

合格発表が10月、面接に落ちたのが11月。それから家を出て勉強することにしたので、引っ越しが終わり、本格的に勉強を始めたのは12月頃でした。

家を出たのは、家で勉強を続けるプレッシャーに耐えられなかったからです。自分を追い込むためではなく、親の目から離れて一人になりたかった、ただただ逃げたかった、ということです。

ぜいたくな話ですが、1年分の家賃と学費はぎりぎり貯金でまかなえる、裏を返せば、これができるのはこの1年しかない、という計算はしていました。

引きこもり(勉強)生活

2回でやめると思っていたので、8月の試験が終わってから3回目を受験すると決めるまで、まったく勉強していませんでした。

教室の講座にはもう追いつけないし、そもそも教室へ通う往復の時間がもったいないと、通信講座を選びました。

1日のノルマを決めて、カセットテープ(!)を早聞きして講義をこなし、答練(答案練習:テストのこと)を解き、と、朝から晩まで勉強していました。

私は特に原価計算と財務諸表論(当時)が苦手で、原価計算は入門のテキストの設例からすべて解き直し、財務諸表論は短答式(多肢選択式)の問題を、選択肢1つにつき正誤の理由が正確に回答できれば1点とカウントして繰り返し解き、会計法規集(会計基準の原文)に曖昧だったポイントやメモを書き込み、会計法規集を、それを見ればすべてわかるというテキストにしていきました。

簿記の答練も何回も繰り返したし、監査基準も暗記したし、商法(当時)や民法の典型論点は反射的に出てくるようになりました。

勉強のやり方がやっとわかったということなのかもしれませんが、本当に勉強したと言えるのはこの年だけだったのかもしれません。

予備校に行きませんでしたので仲間もおらず(通っていた頃もいませんでしたが)、親から離れたくて家を出たので、勉強について家族に話をすることもありませんでした。

一人で勉強することを、孤独、と感じた記憶はあまりないのですが、先が見えない不安はいつもありました。

想像したのは、受験に失敗し、望まない勤めをし、独身のまま年を取っていき、「お局様」と後ろ指を指されながらも生活のために仕事は辞められず、暗い部屋でひっそりと一人で生きる自分。絶対にそうはなりたくないと、自分を奮い立たせました。今思うと、傲慢というかイヤな奴ですが。

それと、あの面接官にも絶対に負けたくなかった。

出口を探して

この頃、ずっと聞いていたのが、佐野元春さんの「シーズンズ」という曲です。

プロフィールに「私の人生を変えてくれたり支えてくれたりした音楽」としてあげていますが、これはこの頃の私を支えてくれた音楽です。

心はいつでも不安だらけで

何かをするときも自信がない

この世界中のすみっこから

きっとどこかに

抜け出せる出口が見つかるはず

いつかきっと誰もが見つける

鮮やかな夜明けまで

僕らはもっと幸せになれるはずだろう

そうだろう?

(いずれも、佐野元春「シーズンズ」(アルバム「Stones and Eggs」収録)より、作詞:佐野元春)

不安だろうがなんだろうが、出口が見つかると信じて、いつか夜明けを見つけられると信じて、勉強するしかないと言い聞かせていました。

今も出口を探して

この投稿を書くのに、久しぶりに聴き直したのですが、今も同じだな、と思いました。

会計士にはなりましたが、結局それが最終的な出口にはならなくて、監査法人を辞め、税理士事務所を辞め、今はひとりで、やっぱり不安だらけです。

合格することが出口だった受験時代とは異なり、今はどこが出口なのか、何が出口なのか、正直、わかりません。

でも、自分の人生を自分で生きると決めたのだから、自分をもっと幸せにすることができるはず。

そう信じて、出口を探して、前に進むしかないんだと思っています。

今日の花

バラ(バラ科、原産地:ヨーロッパ・アジアの温帯)

これはいけばなに使ったものです。単体では「洋」なのに、枯れたような枝に合わせればちゃんと「和」になります。いけばなはおもしろいです。