相対評価〜一定の集団内における個人の学力の相対的位置を表す評価の方法。
出典:三省堂『スーパー大辞林3.0』(電子辞書版)
私が小学生の頃は、1クラスに5段階評価の5は何人、4は何人などと決まっていて、その枠組みに従って成績がつけられる、いわゆる相対評価でした。
今日取り上げるのは教育のことではありませんが、ふと、相対評価と絶対評価について考えました。
自分に足かせをかける
「プロなんだから、これくらいできて当たり前」
「仕事なんだから、やって当然」
「練習してるんだから、これくらいできなきゃだめ」
こんな風に、自分自身に対して思うことは多いです。
元々の性格なのでしょうが、今に至るまでやってきた監査や税務申告という仕事が、社会的・対外的に失敗することが許されない「できて当然」な仕事だったことが、多少は影響しているかもしれません。
人は、成長を実感できると、そのことに喜びを感じるものではないでしょうか。
しかし、こういう性格ゆえに、それだけの勉強や練習、経験をしている(仕事であればお金もいただく)のだから、成長は「しなければならないもの」であって、成長を実感したとしても、義務を果たした、くらいの感覚で、特に喜びを感じることはありません。
あるべき(ありたい・なりたい、ではなく)自分を作り出して、それと比較して評価するから、こうなるのでしょう。
人に対する厳しさにならないように
こういう考え方をしていると、往々にして、他人に対しても厳しくなりがちです。
- 進んだステップの大きさではなく、進んだことそのものに価値を見い出せているか
- 自分の当たり前を人にも要求していないか
- 相手のことを理解し、進んだステップの裏でその人が払ったであろう犠牲や、重ねたであろう努力を汲み取れているか
自分が自分をどう評価しようが勝手ですが、それを押し付けることによって、周りの人を残念な気持ち、嫌な気持ちにさせることのないようにはしなければなりません。
どっちでものごとを見るか
私が通っているいけばなの教室では、きれいにできた作品は教室の白い壁を背景に写真を撮るという、何となくのきまりごとがあります。
ただ、出来が悪いと「撮る価値なし」と(自分の感覚として)なってしまうので、私はそのきまりごとが苦手です。
そんな屈折もあり、先日のお稽古では、「今日はまあまあの出来?」と一瞬思ったものの、「何度もいけている型なんだから当然だよね」と思い直し、(背景白でない)記録用の写真だけ撮って、さっさと片付けてしまいました。
後から写真を見直して、少し、後悔しました。
「何度もいけている型なんだからできて当然」というのは、過去の経験を踏まえて見たらたいしたことない、という相対評価。
作品だけを絶対評価で見たら、もしかすると、自分にも「きれい」と思えたのかもしれません。
結果だけを見て評価することが、常に正しいわけではないでしょう。
それでも、自分は余りにも、自分で自分を縛りすぎて、押さえつけすぎているのかもしれません。
うぬぼれすぎるのも危険ですが、自分で自分を相対評価して自分を認めることができないのは、人生、損をするのではないでしょうか。
だからといって、この性格は変わらないんだろうな、とも思いますが。
今日の花
サンゴパイン(パイナップル科、原産地:熱帯アメリカ)
パイナップルそっくりですが、食べられません!実の下から葉の先までが15センチ弱。何となく、大きさの想像がつくでしょうか。もともとは実の下に長い茎がついていて、棒の先に小さなパイナップルがついているように見えます。ある程度の長さでも使えますが、かなり頭(実)が重いので、オアシスでも剣山でも、深く挿さないと倒れます。しおしおになってしまう前に、割って中身を見てみよう…。