私が習っているいけばなの小原流には「研究会」というシステムがあります(他の流派にもおそらく似たようなものはあるのではないかと思いますが)。

「本科」という級を修了すると、研究会に入会することができます。研究会に入会するかしないかは任意です。

本科修了に至るまでには、初等科8回、本科16回のお稽古がありますが、それぞれの級のお稽古を終えたところで許状(お免状、というとわかりやすいでしょうか)を申請する必要があります。毎回まあまあのお金がかかります…。

研究会では、毎月、定例研究会=テストがあります。これがメインイベントのようなものです。級が上がると、この他にもいろいろな研究会があります。

定例研究会は、月1回、連続する土、日、月の3日間で開催されます。土、日は1日3回、月は1日4回開催され、そのうちのどこか1回に出席します。東京支部では毎月2,000人程度が参加しているそうです。驚きです。

級ごとに課題の花型と花材が決められていて、課題は毎月変わります。1ヶ月ほど前に課題が公表されますので、事前に同じ花型と花材でお稽古し、本番に臨みます。

広い教室に級ごとに席が並べられ、全員一斉に開始します。時間は50分間。時間終了後、いったん退出し、審査の先生が採点します。席には番号札しかありませんので、もちろん、誰がいけたものかはわかりません。採点は100点満点、以下5点刻みで、95点以上だと賞状をいただけます。

採点終了後、教室に戻り、全体の講評と個人個人の寸評をいただきます。

たかが習い事とはいえ、ものすごく緊張するもので、研究会に参加し始めて2回くらいは、最初の枝を切るときに手が震えました。

半年以上経った今は慣れてきて手が震えることはなくなりましたが、まだ、緊張しているな、というのは感じます。

50分間、極限まで集中しているようで、時間が終了して初めて、教室で子供が泣いている(お子さん連れで参加している方がいます、頭が下がります)のに気づいたこともあります。

今月(3月10日でした)はものすごい睡眠不足だったこともあってか、50分間終わったら軽い酸欠のようになって、思わず床にへたり込みました。

床にへたり込むほどではないものの、毎回毎回、気力と体力を出し尽くしていて、終わるたびに「自分は何をやっているんだろう?」と思います。

将来人に教えるわけでもないし、華道家になれるわけでもない。自分の腕なんて、がんばったところで程度は知れてる。いい点数を取ったところで何が変わるわけでもない。

もっと他にエネルギーを注ぐべきところがあるだろう、と思うのです。

点数がつくのはつらさもあり、いけばながますます楽しくなくなるような気もします。

じゃあやめる?と自分に問いますが、答えは「やめたくない」。

なぜなら。

①大人になると、練習した成果を客観的に採点してもらう機会は意外とありません。研究会は、そういう機会です。

②講評がおもしろいです。お稽古のときは単にテクニックとして覚えていたことに、きちんとした意味があるということが、講評のお話の中でわかったりします。

③年に1回、お家元(若くてイケメン!)から直接寸評をいただけます。ちなみに、今年のその貴重なチャンスは、睡眠不足でヘトヘトだった今月でした…。

④そしてなんと言っても、50分間で勝負する、その空気感がやめられないのです。

作品の出来そのものも、まあ、勝負なのですが、限られた時間の中で自分が持てるものを出し切れるかどうかという勝負。そんな勝負をいけばなでする意味は自分の人生においてまったくないのですが、やめられません。

ただ、マラソンなどであれば、皆が一流選手でなくとも、目標記録を設定してトレーニングして競技会に参加して、というのはよくあることで、それを「人生において意味がない」と言われることはありませんよね。

だとしたら、私はその対象が、いけばな、というだけなのかも。

そして私は、アスリートのような感覚でいけばなをやっている、のかも…?(そう考えたら、これから7年半続くカリキュラムを乗り切れそうな気がしてきました。)

「もっと他にエネルギーを注ぐべきところがあるだろう」と思わなくなる程度に仕事もがんばって、そのかわりに、この月1回の勝負は、しばらく続けて行きたいと思います。

今日の花

ヒペリカム(オトギリソウ科、原産地:北米・西ヨーロッパ他)

以前、赤い実のヒペリカムを投稿したことがありますが、この緑のものが赤くなるわけではなく、別々の品種のようです。緑の色がさわやかで、つややかな実が心地よいです。