今住んでいる家は、住み始めた時は新築でした。

まっさらな床に物を落としたり物をひきずったりして傷をつけることのないように、とてもとても気をつけて、ラグを敷いたり家具にフェルトをつけたりしていました。

ある時、食器を落としました。どういう風に手を滑らせたのか、食器は空中に一瞬高く浮き上がって勢いよく落ち、床には食器の形がわかるくらいの深い傷がついてしまいました。

それからは、物を扱うのに無頓着になり、傷がついても何とも思わなくなりました。

傷はだんだん増えていきました。

完璧主義あるいは駄々っ子

どこか1つ小さな失敗をしたり、うまくいかなかったりすると、もうやる気が失せてしまうことがあります。

仕事は、失敗してもうまくいかなくてもやらなければならないことですから、挽回して、代替案を考えたりして、何とかやり遂げます。

しかし、プライベートでは、

習いごとしかり。

休日に外出したら、出かけてすぐに嫌なことがあって、すぐに家に引き返すとか。

床の傷だって、1つ傷ができたからといって、それですべてがダメになるわけではないのに、もういいや、となってしまう(まあ、気持ち的には何となく楽になりましたが、それ以上に「もういいや」となっています)。

完璧主義なのか、あるいはそんな立派なものではなく、単なる駄々っ子なのか、まあ、そんな感じです。

ただ、歯車が狂っていくとき、何かが壊れ始めるとき、道を誤るとき、踏み外すとき、転落していくとき・・・そんなときのきっかけは、床にできた小さな傷のようなささいなものなのではないでしょうか。

だとしたら、小さな傷だけで踏みとどまるすべを考えなければなりません。

踏みとどまるためには

例えば、自分に対する自信(あるいは過信)に対する客観視(あるいは諦め)。

例えば、物事はそんなにうまく行くものじゃないという悟り。

例えば、物事をプラスに転じて考えることの訓練。

例えば、自分の身の回りにある物や人を大切にする心。

「もういいや」となるときは、おそらく自分のことしか見えていないときで、そういうときは、周りを見る余裕もなく、自分と周りとの関係性を考えたり、こういう見方や考え方をすることはできません。

心に余裕があるときに心がけて、こういう見方や考え方をできるだけ自分のものにすること。そして、投げやりになっているときには、投げやりになっている自分を理解して軌道修正できるようになれば、大きく踏み外すことはなく、少しは穏やかで、波の少ない生き方ができるのではないでしょうか。

そんなことを、床の傷を見ながら考えました。

今日の花

オオムギ(イネ科、原産地:中央アジア・中東)

アオムギ(青麦)といわれたりします。いけばなでは、春の訪れを告げる代表的な花材として使われます。茎がまっすぐのようでまっすぐでない。茎が空洞。お稽古ではかなり苦労しました。穂がつやつやしているのが、芽吹きを感じさせます。